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Maserati Bora——ジウジアーロが描いたトライデントの夢、初のミッドシップ・マセラティ

1971年登場のマセラティ・ボーラは、マセラティ初のミッドシップ・スポーツカーだ。ジョルジェット・ジウジアーロ(イタルデザイン)がデザインした鋭利なウェッジシェイプと4.7リッターV8の組み合わせは、ランボルギーニ・ミウラやフェラーリ・デイトナに匹敵する存在感を示した。シトロエンの資本下で誕生した「技術の実験場」としての側面も持つ。

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シトロエンとの提携が生んだ先進技術

1968年にシトロエンがマセラティの筆頭株主となり、ボーラにはシトロエンのハイドロニューマチック技術が採用された。ブレーキ、クラッチ、電動ポップアップヘッドライトがこのシステムで動く。軽いタッチで制動できる高圧油圧ブレーキは当時先進的で、一般的なスポーツカーとは一線を画した操作感をもたらした。

「隔離されたコックピット」という思想

ジウジアーロはボーラのデザインにおいて、エンジンのノイズと振動からドライバーを守る「隔離されたコックピット」という概念を取り入れた。厚い防音材とガラスで仕切られたコックピットは、V8の咆哮を外で楽しめる一方で、室内は比較的静粛——スポーツカーとGTの理想的な融合だ。

ブラームは姉妹車

ボーラと同時期に登場したマセラティ・メラクはボーラのシャシーにV6エンジンを搭載した廉価版(あるいは入門版)として位置付けられ、後席を設けた2+2配置を採用した。ボーラはそのハイエンド版として、マセラティのスポーツカーラインナップを二段構えにした。合計571台が生産されたボーラは希少な存在として高く評価されている。

コレクターズガイド:なぜ今も価値があるのか

クラシックカーの価値は単なる希少性だけでは決まらない。歴史的意義・機械的完成度・デザインの普遍性・来歴(プロヴェナンス)——これらが揃った車だけが時代を超えて評価され続ける。

現代の電動化・自動化が進む自動車産業において、エンジンの轟音と機械的な操作感を持つクラシックカーへの需要は逆に高まっている。ペブルビーチ・コンクール・デレガンス、グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードなどの国際的なイベントでの人気は衰えを知らない。

投資対象としての側面も無視できない。過去20年間で希少なイタリア製・イギリス製クラシックカーの価値は平均して年率10〜15%上昇しており、株式や不動産を上回るリターンを記録した車種も多い。ただし維持費・保管環境・整備記録の管理が資産価値の維持に直結することを忘れてはならない。

トライデントの系譜——マセラティの誕生とボローニャ時代

1914年、ボローニャでアルフィエーリ・マセラティが兄弟たちと創業したマセラティは、エンジン製造から始まりレーシングカーメーカーへと成長した。トライデント(三叉の矛)のバッジは、ボローニャの市庁舎広場に立つネプチューンの像から着想を得たものだ。会社はその後オルシ家に売却されたが、創業者一族の精神は今も受け継がれている。

「トラクション王」ファンジオとの蜜月

ファン・マヌエル・ファンジオは1957年のF1世界選手権をマセラティ250Fで制し、5度目のタイトルを獲得した。彼はこのシーズンを「人生で最高のレース」と語り、250Fを「私が最も愛したマシン」と称した。この人類史上最高とも言われる独走から引退したファンジオにとって、マセラティは最後の愛車だった。

フェラーリとの永遠のライバル関係

マセラティとフェラーリはモデナという同じ都市を拠点に持ち、同じ時代に同じドライバーたちを争った永遠のライバルだ。しかし財政難のマセラティが1958年にF1から撤退した後、フェラーリは最強の相手を失った。今日の GT市場でも二社のポジショニングは異なりながらも、「イタリアのエキゾチックカー」という同じフィールドで競い合っている。

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Author of this article

クラシックカー専門ライター。自動車雑誌の編集部に12年在籍し、欧州車・国産旧車の取材を担当。独立後はイタリア・英国のクラシックカーイベント取材やオーナーインタビューを重ね、これまでに試乗・取材した旧車は300台以上。愛車はアルファロメオ ジュリア スーパー(105系)と、レストア中の国産旧車1台。「名車の物語を、次の世代に手渡す」をモットーに、スペックの羅列ではなく“そのクルマが生きた時代”まで伝える記事を心がけている。

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