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Lancia Beta Montecarlo——ランチア最後の本格スポーツカー、幻の傑作が辿った数奇な運命

1975年に登場したランチア・ベータ・モンテカルロは、ピニンファリーナがデザインしたミッドシップ2シーターだ。マセラティのメラク、フェラーリの308とほぼ同時代に登場しながら、ブレーキのサーボ作用問題から一時生産中止を余儀なくされ、復活後は世界ラリー選手権(WRC)で活躍した波乱の人生を送った。

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ピニンファリーナのウェッジシェイプ

モンテカルロのデザインはピニンファリーナが担当し、低く鋭いウェッジシェイプが特徴だ。全高わずか1170mmという低さは視認性の悪化につながったが、空力的な美しさを優先した判断だった。ポップアップ式ヘッドライトを採用した初期型と固定式に変更された後期型でフロントフェイスが大きく異なる。

ブレーキ問題と一時生産中止

初期型は前輪ブレーキのサーボ効果が強すぎるという問題を抱え、1978〜79年に一時生産中止。問題解消後に復活した改良型は1982年まで生産された。この一時中止がブランドイメージに傷を付け、商業的な成功を阻んだ。

WRCでの輝き

モンテカルロをベースにしたターボ仕様がWRC用グループ5車として開発され、1979〜81年にかけて活躍した。ランチアのモータースポーツ部門アバルトが手がけたターボ仕様は原型のエンジンをほぼ別物にまで改造し、当時のWRCで強豪フォードやフィアットと渡り合った。

コレクターズガイド:なぜ今も価値があるのか

クラシックカーの価値は単なる希少性だけでは決まらない。歴史的意義・機械的完成度・デザインの普遍性・来歴(プロヴェナンス)——これらが揃った車だけが時代を超えて評価され続ける。

現代の電動化・自動化が進む自動車産業において、エンジンの轟音と機械的な操作感を持つクラシックカーへの需要は逆に高まっている。ペブルビーチ・コンクール・デレガンス、グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードなどの国際的なイベントでの人気は衰えを知らない。

投資対象としての側面も無視できない。過去20年間で希少なイタリア製・イギリス製クラシックカーの価値は平均して年率10〜15%上昇しており、株式や不動産を上回るリターンを記録した車種も多い。ただし維持費・保管環境・整備記録の管理が資産価値の維持に直結することを忘れてはならない。

ランチアの天才——ヴィンチェンツォ・ランチアの遺産

ヴィンチェンツォ・ランチアはフィアットのレーシングドライバーとして名を馳せた後、1906年に自動車メーカーを設立した。彼の設計哲学は「良いものを作るためなら采算を度外視する」というもので、四輪独立懸架(1922年)、Vエンジン(1922年)、モノコックボディ(1922年)と革新技術を次々と市販車に採用した。

ランチアとWRC——ラリーの王者として

世界ラリー選手権(WRC)の歴史において、ランチアは最多のコンストラクターズタイトル(11回)を獲得した最強チームだ。ストラトス、037、デルタ・インテグラーレという3世代のマシンが異なる時代に頂点に立ち、「ランチアはラリーのために存在する」と言わしめた。特に1987〜1992年のデルタ6年連続優勝は未破の記録だ。

なぜランチアは消えたのか

1990年代以降のランチアはフィアット・グループの経営合理化の波に飲み込まれ、ラリー撤退→モデル縮小→イタリア国内専売という縮小の道を歩んだ。2011年にはアメリカ市場向けにクライスラー製品を「ランチア」ブランドで販売するという屈辱的な時期もあったが、現在は電動化を柱にブランド復活を進めている。ランチアを知るファンたちは今も「全盛期のランチア」を求め世界中を探す。

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Author of this article

クラシックカー専門ライター。自動車雑誌の編集部に12年在籍し、欧州車・国産旧車の取材を担当。独立後はイタリア・英国のクラシックカーイベント取材やオーナーインタビューを重ね、これまでに試乗・取材した旧車は300台以上。愛車はアルファロメオ ジュリア スーパー(105系)と、レストア中の国産旧車1台。「名車の物語を、次の世代に手渡す」をモットーに、スペックの羅列ではなく“そのクルマが生きた時代”まで伝える記事を心がけている。

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