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Lamborghini Espada——4人乗りランボルギーニ、ベルトーネが描いた未来的グランドツーリング

1968年から1978年まで生産されたランボルギーニ・エスパーダは、ミウラと同時代に存在しながら全く異なる思想で設計された4人乗りGTだ。ベルトーネのマルチェロ・ガンディーニがデザインした低く平べったいシルエット、フルサイズの4人乗り室内、そして4リッターV12——それはスーパーカーの刺激と旅の実用性を両立させた唯一無二の存在だった。

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ガンディーニの革命的スタイリング

エスパーダの車高はわずか1185mm。全長4730mmという大型ボディでありながら、ほぼセダンと同等の室内高を確保したガンディーニの設計手腕は驚異的だ。大きなグリーンハウス(ガラス面積)と薄いルーフピラーは開放感を演出し、ウェッジシェイプと組み合わさって1960年代末とは思えないモダンさを持つ。

3.9リッターV12——本物のランボルギーニ

ミウラと同系統の3.9リッターDOHC V12(325〜365馬力)をフロントに搭載。最高速度は245km/hを誇った。ただしフロントエンジンのためミウラのようなエキゾチックな魅力はないが、4人を乗せてこの速度で巡航できるGTは当時他に存在しなかった。

ランボルギーニ最多生産モデル

エスパーダは10年間で1217台が生産され、当時のランボルギーニとして最多生産モデルだった。オーナーにはマイルス・デイヴィス、フランク・シナトラ、ウンベルト国王2世など著名人が名を連ねる。現在のコレクターズ市場でも人気が高まりつつあり、程度の良い個体は高値で取引される。

ランボルギーニの誕生——トラクター農家がフェラーリに挑んだ日

フェルッチョ・ランボルギーニはイタリアの農業機械メーカーとして財を成した後、フェラーリ250 GTを購入した。しかしクラッチの不具合を指摘するとエンツォ・フェラーリは「農夫にフェラーリは理解できない」と一蹴。この屈辱がランボルギーニにスポーツカー開発を決意させた。1963年、ランボルギーニ・アウトモビリが誕生した。

ミウラが変えた世界——スーパーカーという概念の発明

1966年のジュネーブ・モーターショーで発表されたミウラは、「スーパーカー」という言葉が生まれるきっかけとなった車だ。ミッドエンジン横置きV12という革命的レイアウトは、それまでフロントエンジンが常識だった高性能車の世界を一変させた。デザイナーはわずか26歳のマルチェロ・ガンディーニだった。

牡牛の名前を持つクルマたち

ランボルギーニのモデル名は闘牛の名前から取られるという伝統がある——ミウラ(牧場名)、カウンタック(ピエモンテ方言で「驚き」)、ディアブロ(悪魔)、アヴェンタドール(闘牛士の名)。この命名規則はフェルッチョのフォルムとして今も受け継がれ、ランボルギーニというブランドのDNAを象徴する。

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