マセラティ・ギブリ(初代)は1966年のトリノ・モーターショーでデビューし、若きジョルジェット・ジウジアーロが手がけたボディで聴衆を圧倒した。「ギブリ」とはサハラ砂漠から吹く熱風の名。4.7リッターV8が奏でるサウンドとスタイルは、フェラーリ・デイトナのライバルとして真っ向から渡り合った。
24歳のジウジアーロが描いた完璧なライン
当時まだ24歳だったジウジアーロはベルトーネに在籍しながらギブリのデザインを担当した。長いフード、低いルーフライン、絞り込まれたウェスト——これらの要素が生むシルエットは完璧なプロポーションを誇り、後にジウジアーロ自身が「自分の代表作のひとつ」と語るほどの自信作だった。
V8エンジンとスパイダー
4.7リッターのDOHC V8は330馬力を発生、最高速度は280km/h。後に4.9リッター仕様(335馬力)も追加された。クーペに加えてスパイダー(オープン)も設定され、ヴィニャーレがボディを製作した。スパイダーは125台という希少生産数のため現在のコレクターズ市場でも別格の扱いを受ける。
デイトナとの対決——哲学の違い
フェラーリ・デイトナとギブリは同時代の最強GTとして常に比較された。デイトナは「速さのための機能美」、ギブリは「美のための官能」という方向性の違いがある。どちらが好みかは個人の美意識による。ただし現代の評価ではギブリのスパイダーはデイトナに迫る、もしくは超えるほどの高値を付けることもある。
トライデントの系譜——マセラティの誕生とボローニャ時代
1914年、ボローニャでアルフィエーリ・マセラティが兄弟たちと創業したマセラティは、エンジン製造から始まりレーシングカーメーカーへと成長した。トライデント(三叉の矛)のバッジは、ボローニャの市庁舎広場に立つネプチューンの像から着想を得たものだ。会社はその後オルシ家に売却されたが、創業者一族の精神は今も受け継がれている。
「トラクション王」ファンジオとの蜜月
ファン・マヌエル・ファンジオは1957年のF1世界選手権をマセラティ250Fで制し、5度目のタイトルを獲得した。彼はこのシーズンを「人生で最高のレース」と語り、250Fを「私が最も愛したマシン」と称した。この人類史上最高とも言われる独走から引退したファンジオにとって、マセラティは最後の愛車だった。
フェラーリとの永遠のライバル関係
マセラティとフェラーリはモデナという同じ都市を拠点に持ち、同じ時代に同じドライバーたちを争った永遠のライバルだ。しかし財政難のマセラティが1958年にF1から撤退した後、フェラーリは最強の相手を失った。今日の GT市場でも二社のポジショニングは異なりながらも、「イタリアのエキゾチックカー」という同じフィールドで競い合っている。
