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BMW M1——ミュンヘンが一度だけ挑んだミッドシップ、Mの称号が生まれた場所

BMWと聞いて思い浮かぶのは、長いボンネットに直列6気筒を収めたクーペやセダンでしょう。ところが同社の歴史には、たった一度だけその原則を自ら破った車があります。運転席の背後にエンジンを置いた市販スポーツカー、M1です。

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M88型直列6気筒と鋼管スペースフレーム

心臓部は、のちにMの代名詞となるM88型直列6気筒。3.5リッター級の排気量に1気筒あたり4バルブのDOHC24バルブヘッドを組み合わせ、機械式の燃料噴射で混合気を送り込みます。市販仕様の最高出力はおよそ277馬力と伝えられます。

注目したいのは乾式サンプ潤滑です。オイルをエンジン下に溜めず別タンクで循環させるため、その分だけエンジンを低く積めます。重心が下がり、強い横Gがかかっても潤滑が途切れにくい。競技を前提にした設計であることが、この一点からも読み取れます。車体は鋼管スペースフレームに樹脂製の外板をかぶせる構成でした。

グループ4という難題と、イタリアへの委託

1970年代後半、BMWは国際レースのグループ4規定で戦える車を必要としていました。この規定は出場の条件として一定台数の市販を求めます。つまり勝てる設計と量産できる現実性を同時に満たさねばならず、ミッドシップは同社にとって未知の領域でした。

そこで開発と生産を託されたのがランボルギーニです。しかし当時の同社は深刻な経営難にあり、計画は途中で行き詰まります。BMWは体制を組み直し、車体製作から最終組み立てまでを複数の企業に分担させる、手間のかかる方法を選ばざるを得ませんでした。スタイリングはジョルジェット・ジウジアーロが担当し、1972年のBMWターボというコンセプトカーの造形が下敷きになっています。

同時代のライバルの中での立ち位置

同時期に並ぶのはポルシェ911ターボ、フェラーリ512BB、カウンタックといった顔ぶれです。最高速や過激さという物差しでは、M1が突出していたわけではありません。

M1の個性はむしろ扱いやすさにありました。自然吸気の直列6気筒は低回転から素直に反応し、ターボ特有の唐突さがない。視界も比較的よく、当時のスーパーカーとしては現実的に運転できる一台と評されました。

主要スペック

資料により数値に幅があるため、広く用いられている代表的な値を示します。

項目内容
エンジン形式直列6気筒DOHC24バルブ(M88系)
排気量約3.5リッター
最高出力約277馬力(市販仕様)
燃料供給/潤滑機械式燃料噴射/乾式サンプ
搭載位置・駆動方式ミッドシップ縦置き・後輪駆動
変速機5速マニュアル(エンジン後方配置)
車体構造鋼管スペースフレーム+樹脂製外板
生産年1970年代末〜1980年代初頭
生産台数450台前後とされる(諸説あり)

コレクターズガイド:価値を失わない理由

M1が特別であり続ける第一の理由は、BMWが市販した唯一の本格ミッドシップという事実です。以後、同社はこの形式の量産スポーツカーを作っていません。加えてM1は、現在のM3やM5へ連なるサブブランドの起点でもあります。実車を検討される際は、次の点を確認したいところです。

  • 樹脂製外板の割れや補修跡(金属パネルとは補修の勘所が異なります)
  • スペースフレームの腐食、事故歴や修復歴の有無
  • M88型エンジンの整備記録。対応できる工場は限られます
  • 専用部品の供給状況と、来歴を裏づける書類の有無

航空エンジンから始まったブランド

バイエルン地方の発動機製作所という社名が示すとおり、BMWの出発点は航空機用エンジンでした。青と白のエンブレムは回転するプロペラを表すと語られがちですが、実際にはバイエルン州旗の色に由来するという見方が有力です。

戦後に経営の危機へ追い込まれた同社を救ったのは、1960年代のノイエ・クラッセと呼ばれる一連のセダンでした。走って楽しいセダンという路線が定着し、1970年代にはモータースポーツ部門が独立した組織として設けられます。M1はその部門が手がけた最初の自社製スポーツカーでした。

プロカー選手権という前代未聞の企画

M1の名を決定的にしたのが、1979年から2シーズン行われたプロカー選手権です。F1グランプリの前座として、まったく同じ仕様のM1を並べ、一流ドライバーたちが真剣勝負を演じるという趣向でした。

車が同一である以上、差がつくのは腕だけ。ニキ・ラウダやネルソン・ピケらがタイトルを争ったこのシリーズは、観客にとって分かりやすい見世物であると同時に、M1という車の素性の良さを示す舞台にもなりました。

よくある質問

Q. M1はBMW初のミッドシップ市販車ですか

A. はい。そして現在に至るまで、BMWが量産した唯一の本格的なミッドシップ・スポーツカーとされています。以降のMモデルはいずれもフロントエンジンが基本です。

Q. なぜランボルギーニが開発に関わったのですか

A. ミッドシップ車の設計と生産の経験を持っていたためです。ただし当時の同社は経営が不安定で計画は頓挫し、BMW側が体制を組み直すことになりました。

Q. 生産台数が資料ごとに違うのはなぜですか

A. レース専用に仕立てられた個体や試作車の数え方が資料によって異なるためです。おおむね450台前後という数字が広く使われています。

Q. 現代のMモデルとのつながりは

A. M1のM88型エンジンは、のちのM635CSiやM5などに発展した形で用いられました。機構と思想の両面で、現在のMシリーズの源流に位置づけられます。

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Author of this article

クラシックカー専門ライター。自動車雑誌の編集部に12年在籍し、欧州車・国産旧車の取材を担当。独立後はイタリア・英国のクラシックカーイベント取材やオーナーインタビューを重ね、これまでに試乗・取材した旧車は300台以上。愛車はアルファロメオ ジュリア スーパー(105系)と、レストア中の国産旧車1台。「名車の物語を、次の世代に手渡す」をモットーに、スペックの羅列ではなく“そのクルマが生きた時代”まで伝える記事を心がけている。

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