自動車の歴史には、常識の枠にどうしても収まらない一台が存在します。ブガッティ Type 41、通称「ロワイヤル」は、王侯貴族のためだけに構想された巨大な高級車でした。全長は6メートルを超え、搭載されるのは12リッターを上回る直列8気筒。商業的には失敗に終わりながら、この車はいまも自動車という工業製品の限界点を示し続けています。
12リッターを超える直列8気筒という異形の心臓
ロワイヤルの中心にあるのは、およそ12.7リッターという途方もない排気量を持つ直列8気筒エンジンです。ブガッティ流儀に従い、シリンダーヘッドとブロックは一体的に設計され、1本のカムシャフトが1気筒あたり3本のバルブを開閉します。回転を上げて絞り出す性格ではなく、低い回転域から路面を押しやるような太いトルクで、2トンをはるかに超える車体を静かに送り出すことが狙いでした。
変速機は独特の3段構成で、中央の段が直結。日常の速度域ではほとんど変速の必要がなかったと言われます。
「王のための車」という発想はどこから来たのか
エットーレ・ブガッティがこの車を構想した背景には、ある逸話が語り継がれています。英国の貴婦人から自社の車を他社の高級車と比べられたことが、彼の矜持を刺激したというものです。真偽はともかく、ロワイヤルの設計には「世界で最も立派な車を作る」という意志が一貫して貫かれています。
シャシーのみを供給し、ボディは名門コーチビルダーに委ねる当時の流儀に従いながら、エットーレは顧客を自ら選ぶ姿勢すら崩しませんでした。ラジエーター上に載る象のマスコットは、彫刻家であった弟レンブラント・ブガッティの作品に由来します。工業製品でありながら家族の芸術がそのまま象徴として掲げられた点に、この一族らしさが表れています。
同時代の最高級車たちとの距離
1920年代末から30年代にかけて、最高級車の座を争っていたのはロールス・ロイスのファントム、イスパノ・スイザの大型モデル、メルセデス・ベンツの770、そして米国のデューセンバーグでした。いずれも大排気量と豪奢なコーチワークを備えていましたが、ロワイヤルは寸法でも排気量でも頭ひとつ抜けています。
ただし登場した時期が悪すぎました。世界恐慌が富裕層の消費を凍りつかせ、結果として完成したシャシーは6台、そのうち顧客の手に渡ったのは3台にとどまったと伝えられます。事業としては明確な失敗でしたが、その失敗こそがこの車を神話へと押し上げました。
主要スペック
公表値には資料による幅があるため、おおよその目安として捉えてください。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| エンジン形式 | 直列8気筒 SOHC(1気筒あたり3バルブ) |
| 排気量 | 約12.7リッター |
| 最高出力 | 約300馬力(公称値) |
| 変速機 | 3段 |
| 駆動方式 | 後輪駆動 |
| ホイールベース | 約4.3メートル |
| 生産年 | 1926年〜1933年ごろ |
| 生産台数 | シャシー6台(うち顧客に販売されたのは3台と伝えられる) |
コレクターズガイド:なぜ今も別格なのか
ロワイヤルは、市場で気軽に売買される類の車ではありません。現存する個体の多くは博物館や限られたコレクションに収まり、公の場に姿を見せる機会そのものが希少です。ゆえに評価の基準は、程度や仕様ではなく「どの個体か」という一点に集約されます。
ボディを架装したコーチビルダー、最初のオーナー、歴史の中でたどった経緯。そうした来歴のすべてが、その一台を唯一無二にしています。もし実車と対面する機会があれば、ボンネットの長さをぜひ確かめてみてください。
エットーレ・ブガッティという人物
エットーレ・ブガッティは1881年にミラノで生まれました。父カルロは家具や装飾のデザイナー、弟レンブラントは動物彫刻で知られた芸術一家の中で、彼だけが機械の道へ進みます。やがてアルザス地方のモルスハイムに拠点を構え、自らの名を冠した車を作り始めました。
エンジン内部の見えない部分まで磨き上げる姿勢、機能一辺倒には流れない造形。ブガッティの車が今も特別視されるのは、こうした美意識が隅々まで行き渡っているからです。
巨人のエンジンを救った鉄道、そしてブランドの現在
皮肉なことに、ロワイヤルのエンジンが最も活躍した舞台は道路ではありませんでした。売れ残った大排気量ユニットはフランスの高速気動車「オートレール」に転用され、こちらは大きな成功を収めます。巨大なエンジンは、本来の居場所を鉄路に見つけたのです。
ブガッティの名は第二次大戦後にいったん自動車の第一線から遠のきますが、20世紀末以降にふたたび復活し、現在は超高性能車のブランドとして受け継がれています。ロワイヤルが掲げた「頂点を作る」という思想は、形を変えていまも生きています。
よくある質問
ロワイヤルは何台作られたのですか
シャシーとしては6台が完成し、そのうち顧客に販売されたのは3台と伝えられます。残りはブガッティ家が保有し、のちにコレクションや博物館へ移りました。
なぜ「ロワイヤル」と呼ばれるのですか
王侯貴族を顧客として想定していたことに由来する通称です。正式な型式名は Type 41 で、資料によっては両方が併記されます。
今でも走行できる状態なのですか
現存個体は良好に維持されているものが多く、限られたイベントで走行する姿が確認されています。ただし公開の機会は極めて少なく、常時見られるものではありません。
ボディはすべて同じデザインですか
いいえ。当時の慣習どおりシャシー供給が基本で、クーペ、カブリオレ、リムジンなど、架装した工房ごとにまったく異なるボディが載せられました。