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Maserati Bora——ミッドエンジン革命、ジウジアーロが描いたトライデントの最高傑作

Maserati Bora ミッドエンジン

1971年のジュネーブ・ショー。マセラティのブースに現れたクーペは、従来のマセラティとは一線を画すスタイリングを持っていた。デザインはジョルジェット・ジウジアーロ率いるイタルデザイン——後にVWゴルフ、BMW M1なども手がける天才だ。ボーラ(Bora)はアドリア海の北風の名を持つ。

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ジウジアーロのデザイン哲学——機能美の追求

ボーラのデザインはウェッジシェイプ(楔形)でありながら、過度な主張を排した洗練された美しさを持つ。ガラス張りの大きなリアハッチ、滑らかなノーズ、フラッシュ(面一)なサイドパネル——これらは1970年代のデザインとしては先進的だった。ジウジアーロは「美しさと機能性は矛盾しない」という哲学をボーラで体現した。

スペック

Maserati Bora ミッドエンジン
項目詳細
製造年1971〜1978年
エンジン4.7L V8 DOHC(後に4.9L)
最高出力310馬力 / 6,000rpm(4.7L)/ 320馬力(4.9L)
変速機ZF製5速MT
車重1,690kg
最高速度280km/h(4.9L)
0→100km/h6.5秒
生産台数563台

シトロエン傘下時代——意外な後援者

ボーラが生まれた1971年、マセラティはフランスのシトロエンの傘下にあった。ボーラのブレーキとシートの高さ調整システムにシトロエン特有の油圧システム(ハイドロニューマチック)が使われている。この意外な組み合わせは「フランス的快適さとイタリア的パフォーマンス」の融合とも評された。

不遇の時代——オイルショックの犠牲者

Maserati Bora ミッドエンジン

ボーラは登場直後の1973年にオイルショックに直撃された。大型V8エンジンを搭載するスーパーカーは時代の逆風に晒され、1978年に生産を終えた。わずか563台という少ない生産台数だが、現在のヒストリックカー市場での評価は高い。「最もエレガントなマセラティ」として再評価が進んでいる。

Maserati Bora ミッドエンジン

コレクターズガイド:なぜ今も価値があるのか

クラシックカーの価値は単なる希少性だけでは決まらない。歴史的意義・機械的完成度・デザインの普遍性・来歴(プロヴェナンス)——これらが揃った車だけが時代を超えて評価され続ける。

現代の電動化・自動化が進む自動車産業において、エンジンの轟音と機械的な操作感を持つクラシックカーへの需要は逆に高まっている。ペブルビーチ・コンクール・デレガンス、グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードなどの国際的なイベントでの人気は衰えを知らない。

投資対象としての側面も無視できない。過去20年間で希少なイタリア製・イギリス製クラシックカーの価値は平均して年率10〜15%上昇しており、株式や不動産を上回るリターンを記録した車種も多い。ただし維持費・保管環境・整備記録の管理が資産価値の維持に直結することを忘れてはならない。

トライデントの系譜——マセラティの誕生とボローニャ時代

1914年、ボローニャでアルフィエーリ・マセラティが兄弟たちと創業したマセラティは、エンジン製造から始まりレーシングカーメーカーへと成長した。トライデント(三叉の矛)のバッジは、ボローニャの市庁舎広場に立つネプチューンの像から着想を得たものだ。会社はその後オルシ家に売却されたが、創業者一族の精神は今も受け継がれている。

「トラクション王」ファンジオとの蜜月

ファン・マヌエル・ファンジオは1957年のF1世界選手権をマセラティ250Fで制し、5度目のタイトルを獲得した。彼はこのシーズンを「人生で最高のレース」と語り、250Fを「私が最も愛したマシン」と称した。この人類史上最高とも言われる独走から引退したファンジオにとって、マセラティは最後の愛車だった。

フェラーリとの永遠のライバル関係

マセラティとフェラーリはモデナという同じ都市を拠点に持ち、同じ時代に同じドライバーたちを争った永遠のライバルだ。しかし財政難のマセラティが1958年にF1から撤退した後、フェラーリは最強の相手を失った。今日の GT市場でも二社のポジショニングは異なりながらも、「イタリアのエキゾチックカー」という同じフィールドで競い合っている。

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